さかしま

備忘録”的”な

三浦瑠麗氏のワイドナショーでの発言について

2月11日放送の『ワイドナショー』における三浦瑠麗氏の発言が炎上している。
TwitterのTL上にひっきりなしに流れてくる、三浦氏を擁護する人・批判する人の意見を眺めていると、互いの主張が全く噛み合っていないので、ちょっと整理してみたい。

擁護者・批判者の主張を大まかにまとめると以下のようになるだろう。


・擁護者「三浦氏はテロリストや工作員の危険性を説いただけだ。発言から差別的意図は読み取れない」

・批判者「いかなる意図であろうと、はっきりした根拠を示さずに差別を助長するような発言は不適切だ」


まずは、事の発端である三浦氏の発言を検討してみよう。
以下は、問題になった番組中の発言である

三浦氏「実際に戦争がはじまったらテロリストが、仮に金正恩さんが殺されてもスリーパー・セルといわれて、指導者が死んだとわかったらもう一切外部との連絡を絶って都市で動き始めるスリーパー・セルというのが活動しはじめると言われているんです。」
東野幸治「普段眠っている暗殺分子というのが・・・」
三浦氏「テロリスト分子がいるわけです。それがソウルでも東京でも、もちろん大阪でも。今結構大阪がやばいと言われていて...」
松本人志「潜んでるってことですか?」
三浦氏「潜んでます!というのはいざという時の最後のバックアッププランですよ。でそうしたら、首都攻撃するより正直他の大都市が狙われる可能性があるので東京じゃないからといって安心できない。ていうのがあるので正直我々、核だろうが何だろうが戦争して欲しくないんですよ、アメリカに。」


特に在日朝鮮人への言及はなく、差別的な言葉は見当たらない。
放送後に三浦氏が自身のブログで公開した記事にも目を通してみる。少々長いが、スリーパー・セルの危険性について述べた部分を以下に引用する。
http://lullymiura.hatenadiary.jp


また、安保専門家の間で危機感をもって語られるのがスリーパー・セルの存在です。スリーパー・セルとは、文字通り有事が起きるまでは眠っていて、相手国の民間社会に浸透して暮らしている敵性エージェントのことです。これらが、例えば、金正恩氏が殺されたとの報に接したならば、あらゆる外部との連絡を絶ってテロ行動を開始せよと指令されているということです。ターゲット候補となるのは、空港・駅・橋・港湾施設などの交通インフラ、発電所や変電所などの電力インフラ、通信施設やデータセンターなどの通信インフラでしょう。あるいは球場やコンサート場、東京銀座や大阪梅田や福岡天神などの日本を代表する繁華街となるでしょう。

実は、2月11日(日)放送のワイドナショーにおいて、スリーパー・セルの存在について発言したところ、ネット上で大きな反応を頂きました。具体的には、

「実際に戦争がはじまったら、テロリストが仮に金正恩さんが殺されてもスリーパー・セルと言われて、指導者が殺されたのがわかったらもう一切外部との連絡を絶って都市で動き始める(中略)テロリスト分子がいるわけです。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも、今結構大阪ヤバいと言われていて・・・。(中略)というのはいざという時に最後のバックアッププランですよ。でそうしたら、首都攻撃するよりは、正直、他の大都市が狙われる可能性もある」との発言をしました。

正直、このレベルの発言が難しいとなれば、この国でまともな安保論議をすることは不可能です。私自身、政治家や官僚との勉強会や、非公表と前提とする有識者との会合から得ている情報もあるので、すべての情報源を明らかにすることはできませんが、本件は、専門家の間では一般的な認識であり、初めてメディアで語られたことですらありません。

国民にとって重要なことですので、どのような状況か、公開情報となっているものを紹介していきましょう。

まず、下記(韓国の情報源に基づく英国の記事)では、北朝鮮から、ラジオを使って暗号が流されたことを報道しています。記事を通じて、スリーパー・セルの存在や、連絡手段のあり方が明らかになっている他、スリーパー・セルは、「各国にいる」とも表現されています。日本は、韓国に次いで北朝鮮にとっての重要な工作先ですから、日本にも存在すると想定することは当然でしょう。

また、日本でも読売新聞が、大阪府朝鮮総連傘下の商工会の人間が1980年の拉致事件に関わっていたということを過去に報道していますから、その当時大阪にテロ組織があったことはわかります。

当然、この状況は日本の治安組織もつかんでおり、平成元年には、当時の警察白書において、「我が国に対するスパイ活動は、我が国の置かれた国際的、地理的環境から、共産圏諸国であるソ連北朝鮮等によるものが多く、また、我が国を場とした第三国に対するスパイ活動も、ますます巧妙、活発に展開されている。」と断言しています。

直近の平成二十九年版の警察白書では、北朝鮮をめぐる拉致問題をはじめとするテロ活動について、「諸情報を分析すると、拉致の主要な目的は、北朝鮮工作員が日本人のごとく 振る舞うことができるようにするための教育を行わせることや、北朝鮮工作員が日本に潜入し て、拉致した者になりすまして活動できるようにすることなどであるとみられる。」としています。

秘密工作という分野は、公開情報を基に行われる研究者の間では扱いにくいテーマです。スリーパー・セルについて扱ったものではありませんが、北朝鮮に対する制裁の専門家である古川勝久著の『北朝鮮核の資金源』新潮社においては、日本に贅沢品や軍需品を密輸する会社があることを詳細に綴っていらっしゃいます。ただ、これだけでも北朝鮮の工作が日本国内において日常的に行われていることはわかるでしょう。

ここからも在日朝鮮人への差別的意図は読み取れないし、そもそも三浦氏が主張しているのは「日本でもテロが起き得るという危機感を持つべき」ということだ。
世界各国でテロが発生している以上、日本でも同様のことが起きない保証はなく、危機感を持つべきという三浦氏の主張は至極妥当だと思える。


次に、批判者の主張に関しては特定のTweetを引用するのは控えるが、「”北朝鮮工作員が日本に潜伏しており、将来テロを起こす可能性がある”という三浦氏の発言は、在日朝鮮人への差別を助長する」という趣旨のTweetが目立った。

北朝鮮工作員がテロを起こす可能性がある=在日朝鮮人への差別に繋がる”
という発想は論理としては少々飛躍しているが、例えば「一部の外国人のマナーが批判されると、その国出身者全員の印象が悪くなる」という人は少なくない。一部の個人のとった言動により受けた印象が、その人の属性(家、国籍、性別、所属組織など)と結びつき、同じ属性を持つ関係のない人間にまで同様の印象を抱く、という人間の性質を考慮すると、批判者の怒り・懸念ももっともだと思う。


さて、改めて三浦氏と批判者の主張をまとめてみる。

・三浦氏「北朝鮮工作員によって日本でもテロが起き得るという危機意識を持つべき」
・批判者「北朝鮮工作員が日本に潜伏しており将来テロを起こす可能性がある、という趣旨の発言は在日朝鮮人への差別を助長する」

両者の主張は論点が全く異なっている。
かたや安全保障について、かたや差別・偏見について主張しているので、話が噛み合わないのは当然だ。
三浦氏は「自身の発言が在日朝鮮人への差別に結びつく恐れがあること」という批判者の主張を理解し、批判者は「三浦氏の発言は安全保障について述べているだけであること」を理解する必要がある。
この相互理解を図ることのないまま一方的に互いを非難するのは不毛だろう。


最後に、私が思う三浦氏の発言の問題点をいくつか挙げる。


①限られた有識者の間で共有されている(らしい)情報をみだりに公開したこと

”私自身、政治家や官僚との勉強会や、非公表と前提とする有識者との会合から得ている情報もあるので、すべての情報源を明らかにすることはできませんが、本件は、専門家の間では一般的な認識であり、初めてメディアで語られたことですらありません。”

上の三浦氏の記述からも読み取れるように、日本国内の「スリーパー・セル」の存在は専門家の間では周知の事実であるようだが、大多数の一般の人々とっては初めて聞く話だろう。それを、テレビという絶大な影響力を持つメディアで突如公開しても、無駄に視聴者の不安を煽るだけだ(こうした批判を想定した上で、「どうしても今すぐに公開しなければならない!」と危機感に迫られて公開したのならば話は別だが、仮にそうだとしてもその危機感の根拠を明示しなければ「陰謀論」と非難されてしまうのは致し方ない)。


②(番組上では)明確な根拠を示さず自身の推測・経験に基づく意見しか述べなかったこと

ブログ中では「スリーパー・セル」発言の根拠(といっても、この根拠が妥当なものか否か私には分からないが)を一応は示している。だが、番組中では明らかに三浦氏個人の推測・経験のみに基づいたコメントしか残しておらず、これでは専門家としての能力を疑わざるを得ない。
もちろん、テロが一般人によって行われるというのは事実であるし、今後日本でも同様の事態が起こり得る(サリン事件等も含めて良いならば既に起きている)可能性は否定できない。ただ、この程度であれば誰でも予想できるし日頃から言われていることだ。しかし、三浦氏は「国際政治学者」である。専門家という権威ある立場にいる以上、明確な根拠無くいたずらに恐怖心を煽るような発言は、専門家としての自覚と責任感が明らかに欠如している(番組の内容的に根拠を挙げるのは無理だったというのなら、そもそも最初に出演を断ればいいだけだ)。


③自身の発言の影響力と、それによって在日朝鮮人の人々に対する差別的感情が助長される可能性を想定できなかったこと

国際政治学者であるならば、現在、日本国内で在日朝鮮人へのヘイトが大きな問題になっていることは当然知っているだろう。こうした状況を考慮すれば、「北朝鮮」について論じた文脈の中で安易に「日本国内にもテロリスト(工作員)が潜んでいる」とメディアを通して発言した結果、「在日朝鮮人はテロリストだ」と過激な思想に走る人間が出てくることは容易に想像できる。更に、それによって日常生活を脅かされる在日朝鮮人がいる可能性も考慮せねばならない。だが、三浦氏はこの点全く思い至らなかったようだ。
ハフポストへの取材には、以下のように反論している。

”また、在日コリアンに対する差別や偏見を助長するというTwitterの反応についても、私は番組中、在日コリアンがテロリストだなんて言っていません。逆にそういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者だと思います。”
http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/12/ruri-miura_a_23359021/

だが、三浦氏が望むと望まざるとに関わらず、権威を有する人間の意見を都合よく解釈して差別や偏見を助長する人間が一定数存在するのは事実だ。もちろんこれは三浦氏の責任ではなく極端に走る人間が悪い。しかし、②でも述べたように、専門家という権威ある立場の人間が公共の電波を通して意見を表明することには、並々ならぬ社会的影響力があることを自覚しなければならないし、またそれを自分の意図とは全く異なる方向に歪めてしまう人間がいることも肝に銘じなければならない。この辺りの配慮に欠けていたことが、今回の炎上要因だろう。

三浦氏をよく知っている人間にとっては「スリーパー・セル」発言もまた違って受け止められるのだろうが、メディアを通して三浦氏の発言を聞くのは不特定多数の人間である以上、自身の発言がどのように受け止められるかについてもっと考慮すべきだった。


専門家という"知識人"の立場にいるからこそ、三浦氏には「差別主義者はお前の方だ」と批判者を撥ね付けて終わるのではなくその声に耳を傾けて欲しいと思う。
そして我々一般人も三浦氏の主張を撥ね付けずに耳を傾けた上で、対話していく姿勢を示さねばならない。

「API」をどう説明するか

今度からITに関する知識がほとんどない後輩の面倒を見ることになったのだが、自分が新人の頃は、プロキシだとかHTTPだとかCPUだとか分からない用語ばかりだったなと少々感慨に耽っている。

 

APIApplication Programming Interface)」も分かるようでよく分からない単語の一つだったのだが、なぜ分かりにくく感じだのかというと、プログラムについての素養がほとんど無い状態にもかかわらず、プログラムという文脈の中でこの用語を説明されたからだと思う。

『IT用語辞典』では次のように記述されている。

 

APIとは、あるコンピュータプログラム(ソフトウェア)の機能や管理するデータなどを、外部のプログラムから呼び出して利用するための手順やデータ形式などを定めた規約のこと」

(引用:http://e-words.jp/w/API.html

 

普段からプログラムに触れている人ならまだしも、全くの初心者にこんな説明をしても何を言っているのかイメージできないだろう。

そこで、自分が新人の頃を思い出しながら、どのような説明であればIT初心者にも理解できるか考えてみた。

 

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例えば、今の時間を知りたいと思った時、私たちはどのような手段を用いるでしょうか。真っ先に思い浮かべるのは“時計”ですね。腕時計、掛け時計、スマホの時刻表示など、時間を正確に計る術を私たちは常に有しています。

では、これらの時計を私たちは自分で作れるでしょうか?否、職人さんの技術を身に付けでもしない限り、まず無理でしょう。自分で一から時計の部品を製作し組み立てるのは非常に手間が掛かるので、一般的に私たちは時計メーカーが製作した“時計”という便利な機械を利用し時間を確認しています。

このように、「各自で準備する労力を節約し、(ある目的を実現するために)予め用意された機能」をAPIと言います。したがって、“時計”は「時間を正確に把握する機械を作る」という手間を省くために用意された機械(機能)と言えます(Javaで言うと例えば「Date」)。

プログラミングでも同様に、「こういう機能が欲しい」と思った時、その機能を実現するために一からプログラムを組んでいては時間が掛かり過ぎてしまうため、上で例に挙げた時計のような機能がプログラミング言語には備わっています。こうした機能を総じて「API」と呼びます。

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…と、こんな説明を考えたのだが、これで伝わるだろうか。

もちろん、APIそのものの説明としてはこれだけでは不十分なのだが、具体的な説明が書かれたサイトは沢山あるし、何より初心者に微細な事項まで最初から教えるのは親切ではないと思ったため、この程度に留めておいた。

 

 

AIの活用と人間の判断力について

 昨今、進歩の著しいAI(人工知能)だが、採用活動でも活用されるようになったようだ。今月から本格的にスタートした採用活動において、ある企業が中途採用応募者のエントリーシートを審査する際にAIを活用することにした、というニュースを先日観た。

 

まず、過去の採用者のエントリーシートのデータをAIに分析させ、これまでの採用社員の傾向を抽出する。そしてAIはその傾向を基準とし、中途採用に応募した人のエントリーシートが基準に対してどの程度マッチングするか判定を行う。人事はAIの出した判定を参考に、二次選考に進む応募者を決める。

 

このように人間では処理し切れない膨大な情報をAIに分析させ、人間の判断をサポートする活用法は今や一般的になっている。昨年の夏に話題になった、東京大学医科学研究所がIBM人工知能Watson(なお、IBMはWatsonに対し“人工知能”という呼称は使わず、“Cognitive Computing”と言っている)を活用して白血病患者の遺伝子情報の分析を行ったところわずか10分で結果が返され、それを参考に治療方針を変えたことによりたった数ヶ月で患者が回復したというニュースは記憶に新しい。

 

こうした活用法はこれから様々な分野に広がっていくだろう。

 

ここで、AIの分析結果は本当に正しいのか、と疑念を抱く人も多いと思う。だが、適切なデータを学習させればAIの方が人間以上に正確な結果を返せるし、何より早い。医療のように時間との勝負になる現場では非常に有用である。また、AI独自のアプローチによって、自分ひとりでは気付かなかった情報を見つけ出してくれる可能性もある。

もちろん、AIを活用する側もその分析結果を盲目的に受け入れているわけではなく、あくまでも判断の材料として活用している。そしてこの最後の判断だけは決して人間が譲ってはならない部分だと思う。

 

ただ、 AIとの適切な関係性を築けたとしてもなお、人間の判断力がAIの存在によって失われていくのではないか、という懸念を私は抱いている。

 

その理由を記す前に、『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見』というマンガをご存知だろうか。TOKIO長瀬智也主演でドラマ化もされたので多少は認知されていると思う。

このマンガに、人間の“判断”について興味深いシーンがあった。

 

主人公である病理医(病理医については、こちらを参照されたし:日本病理学会 市民の皆さまへ)・岸京一郎が、一人では鑑別し難い疾患に直面し、若い頃の指導医であった中熊教授に助言を仰ぐ場面でのことだ。

岸は自分の所見を中熊教授に伝え意見を求めるが、教授は岸の診断を肯定も否定もせずに立ち去ってしまう。その理由を教授はこう語る。

 

「あのな、俺があれ(組織診)を見てどう思ったか伝えたとする。それを聞いた医者はちょっと安心しちまうんだよ。判断が緩くなる。“あの人もこう言ったから大丈夫”ってな。他人の命みたいなもん、医者はてめえで責任取れねえんだからさ、不安と戦ってなきゃならない。後押しなんかしてさ、それを放棄させるようなことしちゃいかんだろ。」

 

より多くの医者が診断すればそれだけ診断の確率が上がると考えるのが一般的かもしれないが、中熊教授が言うには必ずしもそうとは限らず、むしろ医者の判断力を鈍くする場合もあるとのことだ。

 

同様のことが、AIを活用する際にも言えるのではなかろうか。

医者が患者を診断し、ある病因Aを突き止めたとする。しかし、自分ではその診断が正しいかどうか不安が残るためAIにも患者情報を分析させる。その結果、自分の診断と同じ結果が返され医者はホッと胸を撫で下ろし、病因はAと確定し治療を開始する。だが、数ヶ月後に患者は亡くなり、死後の解剖により本当の病因はBであることが判明した。医者がもしこの時AIの分析結果に安心せず、異なるアプローチを試みていれば病因Bを突き止められたかもしれないのに…

 

自分ひとりの判断では不安なため、他人に判断を仰ぎ、自分と同じ意見だったため安心感・自信を得た経験は誰しもあると思う。それはそれで必要なことだが、その安心感に甘えてしまうと、自ら判断する力の衰退や責任感の欠如を誘発するのではなかろうか(心理学にこのような現象を表す言葉があった気がするのだが、思い出せない)。そしてAIの活用はそれに拍車を掛けてしまう可能性はないだろうか。

 

誤解の無いように断っておくと、私はAIの活用を否定しているわけではなく、むしろ肯定派だ。様々な現場で積極的に活用されれば良いと思う。

ただ、AIを活用する上でのルールを厳密に定めたとしても、人間である以上どこかで過ちが生じるのは必然だ。その起こり得る事態を今のうちに想定しておき、いざ実際に起きてしまった時の対応を考えておくのは決して無駄ではないだろう。このような姿勢はまた、AIを健全に発展させていくことにも繋がる。

 

ニーチェは『ツァラトゥストラ』の中でこう予言している。

 

「すべての書かれたものの中で、私が愛するのは、血で書かれたものだけだ。血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。他人の血を理解するのは容易にはできない。読書する暇つぶし屋を私は憎む。読者がどんなものかを知れば、誰も読者のためにはもはや何もしなくなるだろう。もう一世紀もこんな読者が続いていれば、−− 精神そのものが腐り出すだろう。誰もが読むことを学びうるという事態は、長い目で見れば、書くことばかりか、考えることをも害する。」

 

この言葉の「書き手」を「AI」、「読み手」を「AIを利用する人間」と言い換えてみよう。そしてこの予言が現実となるのを防ぐため、自分自身の判断力を研ぎ澄ませる努力は不断に継続していかねばならないと思う。

 

「誰もがAIを使うことを学びうるという事態は、長い目で見れば、AIばかりか、考えることをも害する。」

 

 

ツァラトゥストラはこう言った

 

初投稿

備忘録としてプログラミングに関する勉強内容を書き留めていけたらと思います。

その他、読書や時事ネタなど感じたこと・考えたことをぼちぼちと。