さかしま

怒りを欠く者は知性を欠く

株式会社POTETO作成のWebテスト『政治検定2019』が一部修正されたことへの応答

先日、株式会社POTETOの作成した『政治検定2019』のテスト問題について過誤をいくつか指摘し、会社代表の古井康介氏や問題作成者の一人にTwitter上でそれらを伝えたところ、直接返事を頂き、選挙前日にテスト問題が一部修正されていることを確認できた。

古井氏はFacebookでも声明を出してくれた。

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それでもまだ課題は一部残るが、早急にテスト問題を修正し、誠意を見せてくれたことにまずは謝意を示したい。

以下、修正前と修正後の問題を比較していく。


【設問2】

〈修正前〉
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〈修正後〉
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修正後は、「政府による現時点での意向であること」、「”一部”無償化であること」が分かる内容となっている。加えて、解説で野党の政策についても触れてくれている。


【設問6】

〈修正前〉
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〈修正後〉
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本問は特に修正なし。せめて各選択肢の正誤の「根拠」を解説で具体的に説明して欲しかった。時間が無かったのかもしれないが、今後解説も掲載されることを願う。


【設問7】

〈修正前〉
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〈修正後〉
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前回指摘した点(「政府による現時点での政策であること」を明示すべき)は修正されている。
なお、今回気付いたのだが、解説で赤文字で強調されている部分は、「認可」保育施設の説明になっている。だが、設問は「認可外」保育施設についての問いだ。であれば、強調すべきは解説後半の「認可外」保育施設に預ける場合の手続きではなかろうか。

また、選択肢1と2の妥当性についてもいま一度検討してみたい。問題上、選択肢1と2は「正しい」説明となっているようだが、それぞれの文を単純比較すると矛盾していないだろうか。

選択肢1:無償化は適用されない(=無償化NG)
選択肢2:毎月最大3.7万円分の施設利用料が支給される(=一部無償化OK)

選択肢1は無償化NGだが、選択肢2は一部無償化OKとなっており、矛盾する説明がどちらも正しいことになっている。これは、(解説にも書いてあるように)自治体から「保育の必要性の認定」を受けた場合は施設利用料が支給され(選択肢2)、認定を受けられなかった場合は無償化は適用されない(選択肢1)という、「条件」の説明がないことに原因がある。この条件を明記しなければ、選択肢3が誤りだと分かってたとしても選択肢1と2が文意として矛盾しているため、正答が複数あるかのように回答者を混乱させてしまう。


【設問4】

〈修正前〉
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〈修正後〉
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「提案」が「賛成」へと修正され、「国会が発議する」という文言が加筆されている。


【設問8】

〈修正前〉
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〈修正後〉
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設問が「手続きを”誰が”やるか」を問うものに変更されている。


【設問10】

〈修正前〉
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〈修正後〉
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解答が修正され、比例代表制や特定枠についての説明が加筆されている。
(正直なことを言うと、間違いとは言えないまでもツッコミどころの多い文章なのだが、ここでの指摘は保留する。)



以上、テスト問題は全体的に修正されており(設問6は別として)、こちらの一方的な指摘に対して迅速かつ誠実に対応して頂いたことには改めてお礼申し上げたい。



2016年のアメリカの大統領選挙時、株式会社POTETOの社員が現地まで飛んで直に取材し、記事にしている様子がTwitterで流れてきたのだが、その行動力および政治を「わかりやすく」伝えようとする情熱は純粋に凄いと思った。
同時に、世の中の様々な事象の「単純化」に走りすぎて、「めんどうくささ」と向き合うことや情報を「正確に」伝えることへの配慮が欠けているようにも感じていた。

会社のミッションにも書かれているように、小難しいイメージを持たれている政治を変えようとする取り組み自体は、政治へのアプローチとしては間違いではないと思う。
ただ、人に対して「わかりやすく」発信するには、まず自分たちが「わかりやすい」ものだけでなく「めんどうくさい」ものも数多く摂取していなければならない。この「めんどうくさい」ものを時間をかけて丁寧に咀嚼し、自分のことばに変換して初めて「わかりやすさ」のスタート地点に辿り着く。ここで「めんどうくさい」ものの摂取量や消化が不足していると、出てくることばは「わかりやすさ」とは似て非なる、「単純化」されたものに堕してしまう。

アメリカでトランプ政権が誕生した頃、ジョージ・オーウェルSF小説1984年』のちょっとした再ブームがあった。作中には、全体主義国家により開発された「ニュースピーク(”Newspeak”)」という極力簡略化された言語様式が出てくる。その目的は、日常的に使用する英語の語彙を極限まで削り取り「単純化」することで、民衆から「ことば」を剥奪し、徐々に思考能力を低下させ、体制に対する反乱を未然に防ぐことにある。いわば「”単純化”による民主主義の破壊」が実行されているわけだ。

この「単純化」が人々の思考能力を奪い民主主義を害する現象は、わざわざ歴史を繙くまでもなく、昨日の参院選で『NHKから国民を守る党』が初めて国会に議席を獲得したことからも明確に示されたのではないだろうか。
「えらいてんちょう」さんが著書『ビジネスで勝つ!ネットゲリラ戦術詳説』の中でN党の戦略についても触れているのだが、的確な分析だった。要は、「NHKをぶっ壊す」といった極限まで「単純化」された政策をYouTubeなどを活用して拡散することによって、若い世代を中心に徐々に支持者を増やしているという。確かに政治がよくわからない人たちにとって、「NHKをぶっ壊す」というスローガンほど「単純化」され取っつきやすい政策はないと思う。
N党が「NHKをぶっ壊す」以外の政策を全く持たず、他の政策については「多数派に従う」と耳を疑うようなことをしれっと述べていたことからも、「ヤバい」集団だというのは誰の目にも明らかだ。しかし、この「単純化」されたヤバさもまた政治への無関心層を惹きつける要因になっている。

今後の選挙でも上のように、「単純化」されたアプローチ(芸能界との結び付きをアピールするなどもその一例)を取る政党に票の投じられる傾向が強まる可能性は高い。今回の参院選投票率は50%を割ったわけだが、仮に「単純化」された政治に惹かれて若い世代の投票率が上がったとしても、民主主義が崩壊へと向かっていくのは必至だろう。

だからこそいま、私たちのように政治に関心を持っている層は、無関心層に対して政治を「単純化」して伝え、投票率を上げることだけを考えていて良いのだろうか。


多種多様な人間が共存するこの社会では、どんなに丁寧に議論を重ねようと、そこからこぼれ落ち抑圧されるたくさんの小さな声が存在する。その声をひとつひとつ見つけ出し汲み上げる。こうした作業には労力を要し、見たくない・聞きたくない情報も含まれているだろうから、「めんどうくささ」を感じる人も多いと思う。しかし、その「めんどうくささ」を厭わずに引き受けるのが政治や教育に関わるものとしての責務ではなかろうか。私が前回の指摘でテスト問題の「公平性・中立性」にしつこく言及していたのは、この意味においてである。

まどろっこしい言い方になるが、「めんどうくさがらずに、めんどうくさいものを引き受け、それをめんどうくさいまま、めんどうくささを感じさせずに(時にはめんどうくささを感じさせて)、めんどうくさい人たちに伝える」手続きこそが「民主主義」だ。
「めんどうくささ」を「複雑性・多様性」と言い換えると、「単純化」はこの「複雑性・多様性」を排除する。人間はイデオロギー的に中立であることなど不可能なのだから、せめて「めんどうくささ」を積極的に受け止めて視野を広く保つよう努めなければ、簡単に「複雑性・多様性」の排除に加担して、結果的に「”個”を殺して」しまう。そうならないためにも、私たちはどこまでも「めんどうくささ」と向き合っていく必要がある。

「こういうめんどうくさい指摘があるから若者の政治離れが進むんだ!」と言われれば、まあそうだとしか言いようがない。また、「今の若い世代に選挙に行け行けと言ったり、政権の不公正を訴えたりしても響かないから、もっと若者ウケする『わかりやすい』戦略を考えるべきだ。」という意見もある面では正しいと思う(一部の候補者は別として、これまで大半の野党が若い世代に向けてなんのアプローチもしてこなかった点は、大いに反省が必要であろう)。
だが、若者ウケする「わかりやすい」戦略をとっていく中でも、そこで伝える情報に「正確さ」が欠けていたら、その情報は「単純化」されたものに堕し、若い世代の人たちは正しい判断など出来なくなってしまう。

ここまでに書いてきた諸々の「めんどうくさい」ことは、POTETOの面々も承知しているだろうし、余計なお世話かもしれない。しかし、修正前のWebテスト問題を見た時、私はそうは思えなかった。
政治・教育に拘う人間として、「めんどうくさい」ことを自ら引き受けそれを「正確に」伝えようと努めているか、いま一度自問して欲しいと思う。これは自戒としても心に留めておきたい。